1990年、久保田利伸の仕事を離れることになる。自分ではなく、海外のエンジニアとの仕事を希望していて、会社はそのまま機材提供の仕事を続けることとなったが、自分はフリーランスとしての活動を決意。仕事のきっかけを頂いた浜田省吾さんに報告しにいった時に、「見てもらいたいバンドがある。」と紹介されて始めたのが「スピッツ」だった。引き続き続けていた、山本達彦、AMAZONSの他に、相馬裕子、ピカソなどを新たに担当。その後、槇原敬之ツアーに参加。