おそらく1982年ころ、まだPAを初めて、ただただ機材の積み下ろし、搬入搬出、セッティング、バラシの毎日だった頃でした。当時の社長(当時GYNE社木下孝氏)通称ジョージさんの音でした。確か早稲田大学の学園祭で、階段教室のような、講堂のようなところでした。催しは、「山下洋輔ジャズセッション」でした。その当時は、厳しく叱られてばかりで、怖いという印象の人でしたが、その音は、極上でした。とても簡単なシステムでしたが、PAシステムがどこにあるのかわからないくらい、その楽器の音がその場所から聞こえて、小さくもなく、大きくもなく、すべてのやっていることがわかる音で、1階にいても2階にいってもそれが同じように聞こえたのです。当時のPAは、ウーハーからは、ブーという音がして、JBL2350ホーンから、ギャーとい音がして音を遠くに飛ばしていたという印象がPAにはありました。つまり、PAはうるさいものだと思っていたのです。「これもPAなんだ!」と目から鱗の体験でした。ポップスのミキシングに関しても、それは貫かれていて、聞きたいもの聞こえる心地いい空間を作っていました。当時は個性的なエンジニアも多く、いろいろなアプローチで音楽を捉えていて、どの人も勉強になるサウンドを作り上げていましたが、自分が目指すPAはこれだ!と思ったライブでした。